しゃべっている言葉によって、物事の考え方が全く違うということ

The Map of Love: A Novel
今「地獄の英語教室」のために読んでいる本のストーリー
1901年 大英帝国占領下のエジプト、イギリス女性(たぶん上流階級)とエジプト男性 (たぶん上流階級出身)の恋愛物語(だけじゃないけど)。
イギリス女性はアラビア語がしゃべれない。エジプト男性は英語がしゃべれない。でもエジプト男性はフランスに数年留学したので、フランス語がしゃべれる。

ということで、二人の間の会話はフランス語
(本の中ではもちろん英語で書かれてるけど!)

ごくろうさまー。

さて、その地獄の英語教室で教えてもらったコラムで面白いものがあったので紹介。
Lost in Translation
New cognitive research suggests that language profoundly influences the way people see the world; a different sense of blame in Japanese and Spanish
(Wall Street Journal)
言語によって人の世界の見方が違うという話である。なんでもオーストラリアの原住民の一部族は「右」とか「左」とか言わずに、方角で全部表現するらしい。なので
"There's an ant on your southwest leg."(君の南西の足にアリがいるよ)
という風にいうらしい。 そういうことで、このオーストラリアの部族、どこに行っても絶対的な方向感覚があるそうな。

すごー!

もちろん日本人のことも書いてある。上のコラムから引用。
In addition to space and time, languages also shape how we understand causality. For example, English likes to describe events in terms of agents doing things. English speakers tend to say things like "John broke the vase" even for accidents. Speakers of Spanish or Japanese would be more likely to say "the vase broke itself." Such differences between languages have profound consequences for how their speakers understand events, construct notions of causality and agency, what they remember as eyewitnesses and how much they blame and punish others.

英語では「誰が」何をやったかが非常に重要である。例えば、「ジョンが花瓶を割った」という感じである。だが、スペイン語と日本語では「花瓶が壊れた」というように表現する。(ちなみに"The vase broke itself"はコラムの最後で"The vase was broken"に修正されている。The vase broken itselfだと花瓶が突然壊れたみたいじゃん)。
この言語の違いによって、しゃべっている人は「誰がやったか」そして「誰を罰するべきか」 を覚えているのである。

In studies conducted by Caitlin Fausey at Stanford, speakers of English, Spanish and Japanese watched videos of two people popping balloons, breaking eggs and spilling drinks either intentionally or accidentally. Later everyone got a surprise memory test: For each event, can you remember who did it? She discovered a striking cross-linguistic difference in eyewitness memory. Spanish and Japanese speakers did not remember the agents of accidental events as well as did English speakers. Mind you, they remembered the agents of intentional events (for which their language would mention the agent) just fine. But for accidental events, when one wouldn't normally mention the agent in Spanish or Japanese, they didn't encode or remember the agent as well.

面倒になったので訳さないけれど、ある研究によると、英語をしゃべっている人は「誰が何をやったか」をはっきり覚えている。日本人とスペイン人は「何が起こったか」を覚えているが、「誰が」の部分を覚えていないらしい。

ホンマかー?

ちなみにどの言語をしゃべるかによって、また変わってくるそうである。だから、日本語しゃべってるときは「誰が」やったかを覚えてないけれど、英語しゃべっているときは「誰が」やったかを覚えているといるらしい。

やっぱあやしいわ。でも私は日本語と英語と両方話すから、この実験は自分でできないわ。純粋日本人で実験しないと。
それでも、他の言語を習って、物事の見方がちょっと変わるのなら、いいことかもしれない。

今日の教訓 ということで、英語勉強する。

過去のブログ
地獄の英語教室、はじまりはじまり

Comments

F Fries said…
その本、読みましたヨ。レディーズ向けなストーリー展開に、日本だったら「小説」じゃなくて「まんが」で出したら受けるだろうなあと思いました。日本のまんが文化はすごくレベルが高いですから。
Kay said…
なんと。読んだのですか?私はまだまだ途中です。確かにレディース向けのストーリです。ちなみに英語教室ではラブストーリーよりも歴史とかイギリスとエジプトのポジションに重点を置いてます。あと、マンガで出したら、きっと「王家の紋章」とちょっとかぶってしまうのでは??