昨日ハーバードの英語教室のためのエッセイを書きはじめた。なぜ英語を勉強しているから始まって、英語教室で何を習ったかまで書くのである。 英語教室の先生のアドバイスにより、Intersectionalityをエッセイに組み込むといいらしい。Intersectionalityは人種、男女、宗教による差別とかである。 私は自分の人生で差別されたことはない。ひょっとしたら鈍感だから差別されていても気づいてないのかもしれないが。 でもエッセイの性質上、差別を無理矢理にでもくっつけないといけない。 ということで、無理矢理くっつけた(笑)。 1.日本の大学の教員はほとんど男性である。 東京大学のウェブサイトによると、平成19年5月1日時点で、男性教授1,205名、女性教授49名 である。女性は全体の3.9%である。東京大学どうもデータありがとう。 2.日本で女性研究者でやってくのは大変そうなので、日本に帰らずに、アメリカでやってくことに決めた。 3.そしたら英語でグラント(研究費申請書)書かないと。 4.じゃ、英語習わないと。 という論法でいくことにした。この東京大学のデータを織り込みながらエッセイ書いた。数字とかデータとかを入れると説得力がでる。 書いている途中で思った。 私って、ひょっとしてRefugee???? (Refugeeは戦争・災害などの避難民 政治的・宗教的亡命者のこと) 無理矢理つけた差別を書いた自分の文章で落ち込んでしまった。(←何やってるんだか。) もっとも「日本で男性優位の世界でやっていくのと、英語でグラント書くのとどっちが大変?」という疑問もあるのだが。一体どっちだろう???? さて、私は私のエッセイによるとrefugeeであるのだが(笑)、うちの親によると「遊牧民」であるらしい。思えば小さい頃から転勤族であるし、大学は地元のには行かなかったし、 博士課程終了後はドイツ行っているし、その後はボストン来ちゃったりしたし、各都市でも引っ越し何度もしているし、確かにそうである。そういうことで持ち物は最小限! いつなんどき草を求めて移動するかわからないからである(大爆笑)。 ほとんどの物は誰かから買った中古品だし、引っ越すときは全部売っぱらうのである。そして実家には、たぶん小さいころの写真のアルバムぐらいしかないのである。いや