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お給料はいくらぐらいですか? ドイツ編

推薦状を無事日本のボスからもらって、ドイツの研究室のボスへ郵送する。 すると「来ていいよ」という返事がきた 私は給料を訊いた。何年契約か、年収いくらぐらいか、保険、税金はどのぐらい取られるのか。 年収は高かったが、ドイツの場合税金は半分ぐらい取られた。 その他たずねたことは、家賃はどのくらいか。ミュンヘンは安全なところかどうか。 給料における家賃の割合は高いので、家賃を訊くことは重要である。 まあ、留学の目的上、最低限の生活できれば文句はないのだが。 ミュンヘンはドイツでも家賃が高いほうで、一人暮らしをするなら500−600ユーロ(約9万円)かかった。もちろん、自分でじっくり探せばいろいろな物 件が見つかる。 ミュンヘンの治安は非常に良かった。ほとんど日本と同じぐらいだった。 ドイツ人は親切で、秘書さんが最初のアパートまで探してくれた。 今日の教訓 給料 平均的家賃をきく。

ドイツ人はパーティーが好き

イツ人はとってもパーティーが好きである。 誕生日や、クリスマスパーティや、「今日何々作るから来て」パーティや、なんやかんやとパーティをする。 外に食べに行ったりするわけではなく、ホームパーティだ。 ホームパーティに行くときは、食べ物があるときは、ワインを一本持って行く(私は梅酒を持っていった)。後で食べ物代清算。食べ物がないときは、「食べ物 持ってきて」と言われる。大抵私は「寿司つくってー!」と言われ、寿司を持っていく。ケーキ、パスタ、いろいろいろいろ。 パーティーはたいてい金曜日か土曜日にある。 「何時からするのー??」ときくと、「20時」という答えが返ってくる。 20時。つまり夜の8時。 しかも時間きっかりに行っても、主催者(アパートの住人)しかいない。 徐々に人が来てパーティがスタートする。 音楽をガンガンかけて、ビール、ワイン、さらに強いお酒を飲み、音楽以上に大きな声でしゃべり、みんなタバコを吸うので窓を開け、あるいはベランダに行っ てタバコを吸い、大騒ぎ。 夜0時頃になると、「疲れたわー」と言って帰る人もいるが、ほとんど帰らない。 2時ごろになると、みんなかなり疲れてお開きになる。 これが学生だったらおそらく朝までやってるんじゃないかと思う。 このうるさいパーティをする前にドイツ人はアパートのポストにカードを入れてくる。 「僕たち4人はちょうど引っ越してきて、今日そのお祝いパーティをします。あなたを招待します」 意味は「うるさいパーティーするから今日は許して」。招待はたぶん形式だろう。パーティの好きなドイツ人なので、別に行ってもいいんだろうけれど。 親友の誕生日パーティでは、私が帰った後、警察が2度来たらしい。 今日の教訓 うるさいパーティをする前には、周りの住民に一応言っておく。

ねえ、sushi作ってくれない??

クリスマスが近くなった。 去年もおととしも、ドイツではこの時期になったら研究室でクリスマスパーティーをした。おととしのは残念ながら参加できなかったが。 参加する場合は、飲み物代5ユーロ(600円ぐらい)を払う。ドイツのビールは500ml瓶1ユーロ以下だし、ワインは3ユーロから売っている。パーティ の日の朝に、20本瓶ケースがガンガンと運ばれてくる。 そして、参加する人は「何か食べ物を持ってきて!」と言われる。 みんな手作りである。ケーキを持ってきたり、サラダを持ってきたり、パン(作れない人が買って持ってくる)、パスタを持ってきたりする。 研究室にはかなりいいキッチンがついていたので(食器洗い機つき)、5時からのパーティーのために2時ごろから料理を始める人がいたりして、はっきり言ってその日は仕事にならない。 私の持っていくものは、寿司(!)である。 ドイツ人の頭の中では「日本人の食べ物=寿司」なので、「寿司作って!」なのである。 寿司なんて日本にいるときは作ったことがなかったので、そんなこと言われると困った。 あるホームパーティの時に、私とマルブルクの友達(現在日本)は、巻き寿司を作ることを決意した。 だが、海なんてまったくないミュンヘンである。魚がほとんど売っていない。 もちろん寿司用ネタはどこかに行けば売っているが、そんなにお金をかけても仕方がない。 そういうことで、Tengelmann(小さいスーパー)に行った。 買ったもの 海苔 スモークサーモン(3ユーロ) アボガド キュウリ(ドイツのキュウリはすごく大きい) サラダ菜(レタスの時もある) 卵 Milchreis 訳してミルクライス。ドイツにはMilchreisというお菓子がある。やや砕けたご飯が牛乳かヨーグルトみたいな物の中に混ざって いる食べ物だ。一回買ってみて食べてみた。おいしくないわけではないが、別にまた買いたくなるほどではなかった。このお菓子用のお米が日本のお米にそっく り。これはドイツにいる日本人の中ではかなり常識で、大量に買う場合は日本食品店に行って買うほうがいいが、少量しか必要でない場合はこれを買う。ドイツ 人にMilchreis使うんだよと言ったら、寿司とお菓子が結びつかないらしく、相当びっくりしていた。 作り方 卵は日本酒と砂糖を入れて焼く

ポスドク先の探し方 ドイツ編

ポスドクをする研究室の探し方はこんな感じであった。 まず、自分のやっている分野で行きたいところを論文で全部ピックアップした。 論文にはたいていボスのメールアドレスが載っている。全部メールアドレスを出してきて、全員に送った。 履歴書(CV)を作成 名前、住所、どこの大学卒業して、修士課程卒業して、博士課程の何年目あるいは卒業。スカラシップ(育英会、学振など)もらってる。国家資格(薬剤師) 持ってるなどなど。海外学会発表何回したか、などなど。 でも研究者の一番大事なのは、業績である。どういう研究をしているか。それは論文をどこにどれだけ載せたかでわかる。First author(一番研究に貢献した人)のある論文がたくさんあるといいが、その他でもなるべく載せる。私の場合はFirst authorは一つだけであった。 CVを作成して、PDFファイルにして、メールに添付した。 メール本文には、簡単に言うと以下のことを書いた。 「○○教授さま。こんにちは、私は日本の○○大学の博士課程で勉強しているもので、こういうことを主にやっています。それで、こういうことを発見しまし た。お宅の研究のこの部分がこういう点で(ここは長々と書く)、非常に興味があるので、ポスドクとして雇ってもらえたら非常にうれしいのですが。。。 私 はこういうことができます。(できる実験を列挙)。よろしかったらご連絡ください。お待ちしております。敬具。自分の名前。研究室の名前、メールアドレ ス」 できる実験の列挙は重要かもしれない。MD(普通のお医者さんのこと)は、研究初めてという人もいる。実験がきちんとできるまでに数ヶ月から半年かかった りする。医者以外のPhDは即戦力という意味では使えるかもしれない。もちろん留学先でいろいろ習ったが。 しばらくしたら、返事が来る。 1.場所がない。 2.推薦状くれる? 給料持ってくる? 3.推薦状くれる? 4.まず推薦状くれる? それからこっち来て、今までやってきたことのセミナーしてくれない?? 給料を持っていけない人(日本で給料やフェローシップがもらえない人)は、3番目を狙う。私もこれを狙った。 2番目を狙う場合は、給料を持っていくか、「持ってないけど、今から日本からもらえるものを応募するし、そっちで応募できるものがあれば、教えてく

ポスドクという不思議な人種

日本人に「何をドイツでしているんですか?」と訊かれたとき、「ポスドクしてます」と言ってもまず通じない。 ポスドク(Post-doctor)というのは、大学へ4年間行って、修士課程を2年間やって、博士課程を3年間やって、その後会社に就職せずに、大学の 先生にもならずに、どこかの研究室に短期間で雇われて修行する不思議な人たちである。彼らはどこかの研究所あるいは大学に(かなり)正式な就職をすること 目指している。「かなり」というのは、最近任期制が増えてきたらしいからである。 安全な就職をするのが大事な日本人には、たいてい理解してもらえない。「あなた早く就職してよねー」と親に言われて大喧嘩をすることもあった。最近は気にしていないが。 アメリカではポスドクを数年してから、企業に就職するらしい。 ドイツでは私の友人たちは博士課程を修了してから企業に就職してしまったが、例外かもしれないしどうかわからない。 日本はさてどうなんだろう? ポスドクの期間は、人によるが、一つの研究室で2−3年である。その後更新するなり、更新をお願いしても断られるなり、新しいことを学ぶべく別の研究室に移るなり、企業に就職するなりする。 周りの雰囲気から感じることでは、40歳が限度のようである。40歳までに才能のある人は就職するみたいだ。これは日本でいうところの助手、助教授など、 ドイツではグループリーダー、アメリカではPrincipal Investigator(PI)になる。40歳になってもポスドクだったらどうしようとか、そういうことは怖いので考えない。 海外ポスドクのメリットとしては、 若いから英語が早く習得できる(かも知れない) ということである。 私がドイツに行くことが決まったときに、うちの親は「30歳前だから、たぶん英語できるようになるよ」と言った。しかし「ドイツ語がしゃべれるようになる よ」とは言わなかった。 おそらく才能の問題もあると思うが、25歳以下だと、ドイツ語も習得できたかもしれない。「大学オーケストラでドイツ語習いました」と私の友人は言ってい た。 海外にすんでみたかったし、英語も上手になるというメリットのために私は、ポスドクを探した。2002年夏のこと。結果としてドイツ(英語?)になってし まったが。