ノーベル化学賞受賞者下村さんの講演 (人間力英語術 究極の例)
今日ボストン大学医学部でノーベル賞受賞者である下村脩さん(Osamu Shimomura)の講演があったので、聴きに行った。でかしたボストン大学!
最初に思ったこと。 背が高い! アメリカ人と一緒にいても小さく見えない大きさである。
講演は4人ぐらいの前置きの後、始まった。
下村さん、「これはノーベル賞受賞のときと一緒のプレゼンテーションです」と言って、原稿を取り出した。それを普通に読んでいた。しかも、書いた文章である。(書く英語としゃべる英語は違うのでご注意)
40年ぐらいアメリカにいるのではないかと思うが、英語はまだ日本語アクセントが少しだけ残っている。
だが、内容が面白いのだ。しかもノーベル賞受賞者の講演なのだ。
多少の英語のまずさなんて、関係あるかね? 81歳だから別に英語を覚えてプレゼンテーションにのぞむ必要もないし。(私の心の声)
途中で「(原稿が見えないから)、ここにライトつけてくれる?」ときいていて、あわててボストン大学の偉い人たちがライトの設定を変更するように、係の人に言いに行く。
非常にわかりやすく、文章も絵も大きくって、見やすいプレゼンテーションである。
英語の発音を矯正するよりも、さっさと偉くなって、まずい英語でも聴いてくれるような立場になるほうが、手っ取り早いのでは?と思った次第であった。島岡さんの本「やるべきことが見えてくる 研究者の仕事術」その9 人間力英語術おすすめ。脱線ついでの話だが、日本のラボの教授と准教授に「ラボに1冊買って置いてください」、とメールをしたが、買っておいてくれたのだろうか。。。。。
さて、脱線から元に戻して、講演内容である。最初のタイトルスライドは蛍光を発するクラゲの絵であるが、次のスライドはなんと、
原爆で完璧に破壊された長崎大学医学部の写真
すごーー。最初の4人の説明の時も一人が長崎の原爆の話をしていたが、その写真をアメリカ人に見せるところがすごい。だが長崎が下村さんの原点なのであろう。海外に出ると嫌でも自分の良い点悪い点が見える。アメリカで自分のオリジナリティを失わなかった者、あるいは確立した者だけが、アメリカで呑まれることなく、生き残ることができる。私の意見であるが。
それで、その後メンターの写真が出てきて、蛍の話が出てきて、船の写真が出てきて、海を渡って、その後のクラゲの話が出てきた。
夏になると毎日クラゲ(オワンクラゲ 直径5cm)を研究室のみんなで2000匹取るらしい。朝6時から取り始めて、途中でやめて、夜8時になったらまた取る。ひと夏で50000匹。取っている研究室のみんなの写真が出てきたが、持っている網の柄のところは「プリンストン大学のカラー」であるオレンジと黒にボスがちゃんと塗ったそうな。取ったクラゲの光っている部分だけを取って生成する。 途中でボスが作った「クラゲ切りマシーン」が出てくる。英語でみんなの笑えるジョークを言えるところは、なかなか。
ちなみに、日本人が「受ける」と思って言ったジョークは受けないので言わない方がいい。だが苦労話、あるいはそれにからんだジョークは全世界の研究者に喜ばれる。皆苦労しているからである。参考まで。
クラゲの蛍光物質を見つけるまで最初苦労して、途中でボスと意見が分かれて、研究室で下村さんはベンチのこっち側、ボスとお手伝いさんはベンチのあっち側でそれぞれ生成をいろいろ試みていた。非常にuncomfortableだった(居心地が悪かった)らしい。
そして一人でボートで海に出ていた時にひらめいたらしい。
イクオリンを見つけたときは、流しに流した時に光ったかららしい。それで塩水だと気づいて成分を順番に試していってカルシウムが必要と気づいたらしい。何事も偶然である。その偶然を逃さないことが大切である。
そして蛍光物質を生成して、150mgになり、それが0.5 mg(だったっけ?)になる。(それを作るためのクラゲの数知れず)
そしてGFPを見つけて発表したのが、1970年代(だったと思った。)
さらにそれを誰かがクローニングをしたのが1992年。それを他の誰かがC. eleganceに発現させたのが1994年。(ウィキペディアのGreen fluorescent proteinによると)
研究に貢献したクラゲの数は1 million(100万匹)。
ひと夏5万匹だから20年クラゲを取り続けた?
下村さん、試験管にGFPを持ってきていて、それにUV(紫外線)を当てて見せてくれる。(←その紫外線そんなに普通に当てていて、皮膚は大丈夫なのかと私は心配していたが。)
GFPを見つけてからは、その研究はやめたらしい。「なぜかクラゲの数が減ってきたので。。。。」 (会場から笑い)
下村さん、その笑いに気づいて、「一応言っておくけど、僕のせいじゃないよ。 他のクラゲの数も減っていたし」(会場で大きな笑い)
そして、講演の最後の方ではノーベル賞を受賞した時の光景が載っていた。金色のメダル(ちゃんと重さを書いてある。さすが研究者)
そしてノーベル賞のDiploma(賞状)の写真。こっちに写真。
左に海を思わせる絵があるのだが、それについて下村さんは言った。
「実際のところ、ちょっとがっかりしたんだ。なぜクラゲの絵を描いてくれなかったのかなって」 (会場で大きな笑い)
下村さん、自分の研究が別に役に立つかどうかなんて考えていなかったらしい。純粋に興味があって研究していたらしい。それについても良いことをなんか言っていたが、忘れた。
そしてプレゼンはMacで行われた。
2008年に受賞してから生活は「Mess」になったらしい。うれしいような、いやなような。
昔読んだ「ご冗談でしょうファインマンさん」を思い出した。リチャード・ファインマンは「おめでとうございます。あなたがノーベル賞に選ばれました」という電話を受けた時に「嫌だ。辞退したい!」と言ったそうな。要するにいろいろなことが面倒になるんだろう。だが「辞退してもいいですが、すると余計話がややこしくなりますよ」と言われて受理したそうな。
(↑この本も研究者おすすめ。)
フランス人同僚が言うには、アメリカがノーベル賞をたくさん取っているように見えるけれど、実はアメリカ生まれのアメリカ人はごく少数しかいないそうな。
今日の教訓 研究者が成功するには根気が必要である。
過去のブログ
・人間力英語術 すばらしい研究をしよう。そしたら多少英語はまずくっても皆我慢して聞いてくれる。
・ショーシャンクの空に (主人公のアンディ君の根気を研究者として見習うべきだと思ったこと)
最初に思ったこと。 背が高い! アメリカ人と一緒にいても小さく見えない大きさである。
講演は4人ぐらいの前置きの後、始まった。
下村さん、「これはノーベル賞受賞のときと一緒のプレゼンテーションです」と言って、原稿を取り出した。それを普通に読んでいた。しかも、書いた文章である。(書く英語としゃべる英語は違うのでご注意)
40年ぐらいアメリカにいるのではないかと思うが、英語はまだ日本語アクセントが少しだけ残っている。
だが、内容が面白いのだ。しかもノーベル賞受賞者の講演なのだ。
多少の英語のまずさなんて、関係あるかね? 81歳だから別に英語を覚えてプレゼンテーションにのぞむ必要もないし。(私の心の声)
途中で「(原稿が見えないから)、ここにライトつけてくれる?」ときいていて、あわててボストン大学の偉い人たちがライトの設定を変更するように、係の人に言いに行く。
非常にわかりやすく、文章も絵も大きくって、見やすいプレゼンテーションである。
英語の発音を矯正するよりも、さっさと偉くなって、まずい英語でも聴いてくれるような立場になるほうが、手っ取り早いのでは?と思った次第であった。島岡さんの本「やるべきことが見えてくる 研究者の仕事術」その9 人間力英語術おすすめ。脱線ついでの話だが、日本のラボの教授と准教授に「ラボに1冊買って置いてください」、とメールをしたが、買っておいてくれたのだろうか。。。。。
さて、脱線から元に戻して、講演内容である。最初のタイトルスライドは蛍光を発するクラゲの絵であるが、次のスライドはなんと、
原爆で完璧に破壊された長崎大学医学部の写真
すごーー。最初の4人の説明の時も一人が長崎の原爆の話をしていたが、その写真をアメリカ人に見せるところがすごい。だが長崎が下村さんの原点なのであろう。海外に出ると嫌でも自分の良い点悪い点が見える。アメリカで自分のオリジナリティを失わなかった者、あるいは確立した者だけが、アメリカで呑まれることなく、生き残ることができる。私の意見であるが。
それで、その後メンターの写真が出てきて、蛍の話が出てきて、船の写真が出てきて、海を渡って、その後のクラゲの話が出てきた。
夏になると毎日クラゲ(オワンクラゲ 直径5cm)を研究室のみんなで2000匹取るらしい。朝6時から取り始めて、途中でやめて、夜8時になったらまた取る。ひと夏で50000匹。取っている研究室のみんなの写真が出てきたが、持っている網の柄のところは「プリンストン大学のカラー」であるオレンジと黒にボスがちゃんと塗ったそうな。取ったクラゲの光っている部分だけを取って生成する。 途中でボスが作った「クラゲ切りマシーン」が出てくる。英語でみんなの笑えるジョークを言えるところは、なかなか。
ちなみに、日本人が「受ける」と思って言ったジョークは受けないので言わない方がいい。だが苦労話、あるいはそれにからんだジョークは全世界の研究者に喜ばれる。皆苦労しているからである。参考まで。
クラゲの蛍光物質を見つけるまで最初苦労して、途中でボスと意見が分かれて、研究室で下村さんはベンチのこっち側、ボスとお手伝いさんはベンチのあっち側でそれぞれ生成をいろいろ試みていた。非常にuncomfortableだった(居心地が悪かった)らしい。
そして一人でボートで海に出ていた時にひらめいたらしい。
イクオリンを見つけたときは、流しに流した時に光ったかららしい。それで塩水だと気づいて成分を順番に試していってカルシウムが必要と気づいたらしい。何事も偶然である。その偶然を逃さないことが大切である。
そして蛍光物質を生成して、150mgになり、それが0.5 mg(だったっけ?)になる。(それを作るためのクラゲの数知れず)
そしてGFPを見つけて発表したのが、1970年代(だったと思った。)
さらにそれを誰かがクローニングをしたのが1992年。それを他の誰かがC. eleganceに発現させたのが1994年。(ウィキペディアのGreen fluorescent proteinによると)
研究に貢献したクラゲの数は1 million(100万匹)。
ひと夏5万匹だから20年クラゲを取り続けた?
下村さん、試験管にGFPを持ってきていて、それにUV(紫外線)を当てて見せてくれる。(←その紫外線そんなに普通に当てていて、皮膚は大丈夫なのかと私は心配していたが。)
GFPを見つけてからは、その研究はやめたらしい。「なぜかクラゲの数が減ってきたので。。。。」 (会場から笑い)
下村さん、その笑いに気づいて、「一応言っておくけど、僕のせいじゃないよ。 他のクラゲの数も減っていたし」(会場で大きな笑い)
そして、講演の最後の方ではノーベル賞を受賞した時の光景が載っていた。金色のメダル(ちゃんと重さを書いてある。さすが研究者)
そしてノーベル賞のDiploma(賞状)の写真。こっちに写真。
左に海を思わせる絵があるのだが、それについて下村さんは言った。
「実際のところ、ちょっとがっかりしたんだ。なぜクラゲの絵を描いてくれなかったのかなって」 (会場で大きな笑い)
下村さん、自分の研究が別に役に立つかどうかなんて考えていなかったらしい。純粋に興味があって研究していたらしい。それについても良いことをなんか言っていたが、忘れた。
そしてプレゼンはMacで行われた。
2008年に受賞してから生活は「Mess」になったらしい。うれしいような、いやなような。
昔読んだ「ご冗談でしょうファインマンさん」を思い出した。リチャード・ファインマンは「おめでとうございます。あなたがノーベル賞に選ばれました」という電話を受けた時に「嫌だ。辞退したい!」と言ったそうな。要するにいろいろなことが面倒になるんだろう。だが「辞退してもいいですが、すると余計話がややこしくなりますよ」と言われて受理したそうな。
(↑この本も研究者おすすめ。)
フランス人同僚が言うには、アメリカがノーベル賞をたくさん取っているように見えるけれど、実はアメリカ生まれのアメリカ人はごく少数しかいないそうな。
今日の教訓 研究者が成功するには根気が必要である。
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・人間力英語術 すばらしい研究をしよう。そしたら多少英語はまずくっても皆我慢して聞いてくれる。
・ショーシャンクの空に (主人公のアンディ君の根気を研究者として見習うべきだと思ったこと)
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