海外で働いている人の体験談募集
いつも読んでいる渡辺千賀さんのOn Off and Beyondというブログで、海外で働いている人の体験談募集という話があったので、フォーマットどおりに書いてみた。 二週間ぐらい前に千賀さんが「海外で勉強して働こう」というタイトルで爆弾発言(!)をしてからずーっと続いている話である。
その後「じゃ、みんな海外でどんなことしてるんだろう」という話になり、体験談を募集することにしたらしい。
ということで、私はドイツとアメリカなので二通り。森鷗外の時代じゃあるまいし、海外に行くということは、そんなに大層なものではないと思う。千賀さんがブログで言っていたとおり、「引越」というのが適切かも。
2003年4月-2005年3月 ドイツ
1. 今いる国
今いる国じゃなくって、前にいた国だけれど、ドイツ。
2. ドイツでの勤務先の業種・本社所在地
Technische Universität München, München, Germany
日本語になおすと「ミュンヘン工科大学、ミュンヘン ドイツ」になると思う。
3. ドイツでしていた仕事の職種
ポスドク(博士研究員)
博士課程を修了してから、別の研究室に移動して数年間修行を積む時期のこと。欧米で一般的。その後大学でアカデミックの職を得るために奮闘するか、企業に就職する。 ポスドクを経験せずに企業に就職する人達もいる。
4. ドイツでのワークライフバランス(仕事時間、私用の時間の取りやすさ、休暇の取りやすさなどなど)
仕事時間は研究者なので、自分の研究による。 ドイツ人は大抵朝早く初めて5時ぐらいに帰ってしまう。土日にいる人はあんまりいない。だが研究に人生かけてる人は土日にもいたりする。 一般的にドイツ人は非常に効率的だった。私個人の意見としては、是非日本人が見習うべきところ。
私用の時間の取りやすさは、大学本部でのドイツ語教室が5時ぐらいからあったのだが、それに週2回ずつ最初の数ヶ月行っていた。ドイツで暮らすには多少のドイツ語は必要なので、大目に見ていた(あるいはボスは忙しすぎて放任主義で気づいていなかった?)
休暇にはボスのサインが必要だったが、紙を見せると何も見ずにサインしたあと、「で?Kay、どこに行くんだ?」と訊いていた。ちなみに私が1年間に消費してよかった休暇の数は28日で、これは週末とか休日を含めない。 年齢があがるほどに休暇の日数も増えていた。 歳をとっても偉くなってもドイツ人はちゃんと休暇を取る。 ボスはDirector(ディレクター 施設長)だったのだが、それでもバッチリ休暇を取っていた。 「最近ボス見ないんだけれど、どこに行ったんだろう」と思ったら「シベリア行って来た」とか。 28日も有給休暇があると、日本人には多すぎて消化できない、使い方がわからない(笑)。
5. ドイツでの生活環境(住環境、リクリエーション、生活コストそのたもろもろ)
ミュンヘンのアパートは結構高く、最初に住んでいたアパートはワンルームマンション(アメリカでいうところのStudio)で600Euroしていた。当時は1 Euro 130円ぐらいだったので78000円。 私の給料からはちょっと高かったので引越しして、ドイツ人3人とアパートメントシェアをしていた。400Euro(52000円)。 アパートメントシェアはその国のカルチャーがわかるのでお勧め。
リクリエーションとしては、私はクラシック音楽が好きだったので、オペラとかをよく聞きに行っていた。 あとヨーロッパは電車でどこでも行けるので、しょっちゅう旅行に行っていた。 小さな街一つ一つに味があって、楽しかった。あとは、大学のスキー教室でスキーを練習して、その後も毎週のようにスキーに行っていた。(1年目合計12日間 2年目合計13日間)
物価は安くて500mlのビールがスーパーで1Euro以下で売っていた。
6. 日本でしていたこと(差し支えない範囲で学歴・職歴。固有名詞でなくてよいです)
某大学薬学部からそのまま同じ大学の薬学科修士課程に行き、そのまま同じ研究室の博士課程に行った。 日本では働いたことがない。
7.8. ドイツに来た方法と来た動機、ドイツでの仕事に就いた方法
海外で働いてみたくって、博士課程3年生の時にメールを海外に10通ぐらい送った。(日本の研究室にも送った)。内容は「今学生で、こんな研究している。ポスドクとしての職を今探していて、あなたの研究に興味があるんだけれど、雇って!」という感じで、CVを添付した。
そしたらドイツのボスから「来ていいよ」というメールが来たので、行った。
9. 日本からドイツに来る時に用意した資金とその調達方法(借金・奨学金などは、差し支えない範囲で、どこからいくら位)
ドイツのボスが給料を支払った。
10. ドイツで日本人がゲットしやすい仕事にはどんなものがあり、その職種につくための良い方法はなにか。
ケーキ職人と音楽関係(ヴァイオリニストとか、楽器職人とか)いう友達がいた。
11. ドイツでのご自身の仕事で雇用に際しての年齢の上限はあるか。ドイツで一般的にどうか
35歳から40歳だと大変だと思う。
12. その他ご自由に・・・
研究室の中では英語をしゃべってもらっていたが(ドイツ人同士はもちろんドイツ語)、日常生活(買い物とか)は結構ドイツ語が必要なので、行く前に日本でGoethe Institut(ゲーテ・インスティトゥート)で短期集中講座に通ってから行った。日本語・英語・ドイツ語の「なんちゃってトリリンガル」になれる利点あり。今でもドイツ人研究者相手にカタコトのドイツ語を使ったりして好評である。
今までの人生で一番楽しかった。
ちゃんと論文も2つ出した。(←研究者としてこれ重要)
2005年4月-現在 アメリカ
1. 今いる国
アメリカ
2. アメリカでの勤務先の業種・本社所在地
Boston University School of Medicine, Boston, MA, USA
ボストン大学医学部 ボストン マサチューセッツ アメリカ
3. アメリカでの仕事の職種
ポスドク(博士研究員)を2年して、その後昇進しインストラクターになる。インストラクターはAssitant Professorの下で、一応Faculty(教職員)なのだが、独立した自分のラボは持てない。 私は「ちょっとマシなポスドク」と言っている。
4. 今のワークライフバランス(仕事時間、私用の時間の取りやすさ、休暇の取りやすさなどなど)
仕事は研究者なので、研究に左右される。 まあ、ここでもデキル人はたくさん働いている。
時間は結構自由で(ボスによりけり?)、歯医者に行ったり、領事館に行ったり、銀行に行ったりしている。
休暇は去年は日本に2週間、ドイツに1週間の合計3週間取った。 これもボスによりけり? 休暇の間にセミナーを3つしてきたので、一応仕事になるのかも?
まあボスとしては、仕事がちゃんと進んでいたらいいのかもしれない。
5. 今の生活環境(住環境、リクリエーション、生活コストそのたもろもろ)
今までの人生の中で一番高い家賃を払っていて、それでいて結構狭い部屋に住んでいる。ボストンでStudioは最低$1100する(約11万円)。
旅行をしようとすると、ニューヨークに行く以外は飛行機を使わなくてはいかないので、ふらっと旅行というわけには行かなくなった。ニューヨークはボストンから安いバスが何社かある。
生活コストは普通だと思う。 ビールは375mlぐらいのやつを6本で8ドルぐらいだったと思った。(←ビールで物価を比較するのもどんなものだか。。。。)
6. 日本でしていたこと(差し支えない範囲で学歴・職歴。固有名詞でなくてよいです)
上に書いたので省略。
7. 8.今いる国に来た方法と来た動機・今の仕事に就いた方法
英語はドイツにいたときには日本にいたときよりも、はるかにマシになったが、それでも英語をどうにかせねばと思い、イギリスとアメリカの研究者にメールを10通ぐらい送った。方法はドイツに行った時と同じ。そしたら今の研究室のボスから連絡があり、電話面接をして行った。
9. ドイツからアメリカに来る時に用意した資金とその調達方法(借金・奨学金などは、差し支えない範囲で、どこからいくら位)
給料はボスが払っている。
10. 今いる国で日本人がゲットしやすい仕事にはどんなものがあり、その職種につくための良い方法はなにか
アメリカなので、いろいろあると思う。
ボストンは大学が多いので、研究者がいっぱいいる。大半は日本に帰ってしまうが、ごく少数の人がアメリカで残ってAssistant Professor→Associate Professor→Professorになる。
11. 今のご自身の仕事で雇用に際しての年齢の上限はあるか。今いる国で一般的にどうか
35歳から40歳だと大変だと思う。 インストラクターが何歳までが上限かは不明。
12. その他ご自由に・・・
その後の進路
日本語圏・英語圏・ドイツ語圏で、雇ってくれるところならどこでも行く。
ということは、日本、アメリカ、イギリス、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、ドイツ、スイス、オーストリア?
考えるだけで楽しくなってきた。
英語について
千賀さんのブログ「海外で勉強して働こう」のコメントでも「留学するだけの資金+英語(TOEFL)」がネックだと言う話になっていたが、博士課程修了者にはこれは関係ない。
博士課程を終了してPhDを取得した後のポスドクとしての留学(というか修行?)として職を得る場合、誰もTOEFLの点数なんか聞いてこない。 全く英語できないとお互い困るけれど。「能力があれば、多少のまずい英語は我慢して聞いてくれる」ということかもしれない。 もちろん英語の勉強はしている。
他の友達の話
私と同じように博士課程を終了後、ポスドクとして海外に修行に出た友人の中には、「僕は日本に貢献するために帰る!」と言って帰った人もいるし、「こんな国(アメリカ)イヤだから帰る!」と日本に帰った人もいるし、日本に帰ったのにまたアメリカに戻ってきた人もいる。人それぞれだと思う。
今日の教訓 やっぱり、ドイツに行ったのが私の人生の分岐点だな。
過去のブログ
・2つのセミナー、つつがなく終了 (ドイツに遊びに行き、セミナーを2つしてきたこと)
・本当に私はなぜアメリカへ来たのだ???? (日本・ドイツ・アメリカの労働時間について)
・2008年シーズン スキー第1回目 (アメリカ東海岸の雪は良くない ドイツの雪は良かったという話)
・Keystone meeting @ Banff お遊び編 (カナダのバンフで学会+スキーに行って来た話)
・最高の贅沢をお安く (ドイツでオペラを見に行っていた話)
・5周年記念 (ドイツに飛び立ってから5周年たって、「ドイツに行ったこと」が人生の分岐点だと思ったこと)
・ボストンからニューヨークへ安く行く方法 (安いバスの情報)
その後「じゃ、みんな海外でどんなことしてるんだろう」という話になり、体験談を募集することにしたらしい。
ということで、私はドイツとアメリカなので二通り。森鷗外の時代じゃあるまいし、海外に行くということは、そんなに大層なものではないと思う。千賀さんがブログで言っていたとおり、「引越」というのが適切かも。
2003年4月-2005年3月 ドイツ
1. 今いる国
今いる国じゃなくって、前にいた国だけれど、ドイツ。
2. ドイツでの勤務先の業種・本社所在地
Technische Universität München, München, Germany
日本語になおすと「ミュンヘン工科大学、ミュンヘン ドイツ」になると思う。
3. ドイツでしていた仕事の職種
ポスドク(博士研究員)
博士課程を修了してから、別の研究室に移動して数年間修行を積む時期のこと。欧米で一般的。その後大学でアカデミックの職を得るために奮闘するか、企業に就職する。 ポスドクを経験せずに企業に就職する人達もいる。
4. ドイツでのワークライフバランス(仕事時間、私用の時間の取りやすさ、休暇の取りやすさなどなど)
仕事時間は研究者なので、自分の研究による。 ドイツ人は大抵朝早く初めて5時ぐらいに帰ってしまう。土日にいる人はあんまりいない。だが研究に人生かけてる人は土日にもいたりする。 一般的にドイツ人は非常に効率的だった。私個人の意見としては、是非日本人が見習うべきところ。
私用の時間の取りやすさは、大学本部でのドイツ語教室が5時ぐらいからあったのだが、それに週2回ずつ最初の数ヶ月行っていた。ドイツで暮らすには多少のドイツ語は必要なので、大目に見ていた(あるいはボスは忙しすぎて放任主義で気づいていなかった?)
休暇にはボスのサインが必要だったが、紙を見せると何も見ずにサインしたあと、「で?Kay、どこに行くんだ?」と訊いていた。ちなみに私が1年間に消費してよかった休暇の数は28日で、これは週末とか休日を含めない。 年齢があがるほどに休暇の日数も増えていた。 歳をとっても偉くなってもドイツ人はちゃんと休暇を取る。 ボスはDirector(ディレクター 施設長)だったのだが、それでもバッチリ休暇を取っていた。 「最近ボス見ないんだけれど、どこに行ったんだろう」と思ったら「シベリア行って来た」とか。 28日も有給休暇があると、日本人には多すぎて消化できない、使い方がわからない(笑)。
5. ドイツでの生活環境(住環境、リクリエーション、生活コストそのたもろもろ)
ミュンヘンのアパートは結構高く、最初に住んでいたアパートはワンルームマンション(アメリカでいうところのStudio)で600Euroしていた。当時は1 Euro 130円ぐらいだったので78000円。 私の給料からはちょっと高かったので引越しして、ドイツ人3人とアパートメントシェアをしていた。400Euro(52000円)。 アパートメントシェアはその国のカルチャーがわかるのでお勧め。
リクリエーションとしては、私はクラシック音楽が好きだったので、オペラとかをよく聞きに行っていた。 あとヨーロッパは電車でどこでも行けるので、しょっちゅう旅行に行っていた。 小さな街一つ一つに味があって、楽しかった。あとは、大学のスキー教室でスキーを練習して、その後も毎週のようにスキーに行っていた。(1年目合計12日間 2年目合計13日間)
物価は安くて500mlのビールがスーパーで1Euro以下で売っていた。
6. 日本でしていたこと(差し支えない範囲で学歴・職歴。固有名詞でなくてよいです)
某大学薬学部からそのまま同じ大学の薬学科修士課程に行き、そのまま同じ研究室の博士課程に行った。 日本では働いたことがない。
7.8. ドイツに来た方法と来た動機、ドイツでの仕事に就いた方法
海外で働いてみたくって、博士課程3年生の時にメールを海外に10通ぐらい送った。(日本の研究室にも送った)。内容は「今学生で、こんな研究している。ポスドクとしての職を今探していて、あなたの研究に興味があるんだけれど、雇って!」という感じで、CVを添付した。
そしたらドイツのボスから「来ていいよ」というメールが来たので、行った。
9. 日本からドイツに来る時に用意した資金とその調達方法(借金・奨学金などは、差し支えない範囲で、どこからいくら位)
ドイツのボスが給料を支払った。
10. ドイツで日本人がゲットしやすい仕事にはどんなものがあり、その職種につくための良い方法はなにか。
ケーキ職人と音楽関係(ヴァイオリニストとか、楽器職人とか)いう友達がいた。
11. ドイツでのご自身の仕事で雇用に際しての年齢の上限はあるか。ドイツで一般的にどうか
35歳から40歳だと大変だと思う。
12. その他ご自由に・・・
研究室の中では英語をしゃべってもらっていたが(ドイツ人同士はもちろんドイツ語)、日常生活(買い物とか)は結構ドイツ語が必要なので、行く前に日本でGoethe Institut(ゲーテ・インスティトゥート)で短期集中講座に通ってから行った。日本語・英語・ドイツ語の「なんちゃってトリリンガル」になれる利点あり。今でもドイツ人研究者相手にカタコトのドイツ語を使ったりして好評である。
今までの人生で一番楽しかった。
ちゃんと論文も2つ出した。(←研究者としてこれ重要)
2005年4月-現在 アメリカ
1. 今いる国
アメリカ
2. アメリカでの勤務先の業種・本社所在地
Boston University School of Medicine, Boston, MA, USA
ボストン大学医学部 ボストン マサチューセッツ アメリカ
3. アメリカでの仕事の職種
ポスドク(博士研究員)を2年して、その後昇進しインストラクターになる。インストラクターはAssitant Professorの下で、一応Faculty(教職員)なのだが、独立した自分のラボは持てない。 私は「ちょっとマシなポスドク」と言っている。
4. 今のワークライフバランス(仕事時間、私用の時間の取りやすさ、休暇の取りやすさなどなど)
仕事は研究者なので、研究に左右される。 まあ、ここでもデキル人はたくさん働いている。
時間は結構自由で(ボスによりけり?)、歯医者に行ったり、領事館に行ったり、銀行に行ったりしている。
休暇は去年は日本に2週間、ドイツに1週間の合計3週間取った。 これもボスによりけり? 休暇の間にセミナーを3つしてきたので、一応仕事になるのかも?
まあボスとしては、仕事がちゃんと進んでいたらいいのかもしれない。
5. 今の生活環境(住環境、リクリエーション、生活コストそのたもろもろ)
今までの人生の中で一番高い家賃を払っていて、それでいて結構狭い部屋に住んでいる。ボストンでStudioは最低$1100する(約11万円)。
旅行をしようとすると、ニューヨークに行く以外は飛行機を使わなくてはいかないので、ふらっと旅行というわけには行かなくなった。ニューヨークはボストンから安いバスが何社かある。
生活コストは普通だと思う。 ビールは375mlぐらいのやつを6本で8ドルぐらいだったと思った。(←ビールで物価を比較するのもどんなものだか。。。。)
6. 日本でしていたこと(差し支えない範囲で学歴・職歴。固有名詞でなくてよいです)
上に書いたので省略。
7. 8.今いる国に来た方法と来た動機・今の仕事に就いた方法
英語はドイツにいたときには日本にいたときよりも、はるかにマシになったが、それでも英語をどうにかせねばと思い、イギリスとアメリカの研究者にメールを10通ぐらい送った。方法はドイツに行った時と同じ。そしたら今の研究室のボスから連絡があり、電話面接をして行った。
9. ドイツからアメリカに来る時に用意した資金とその調達方法(借金・奨学金などは、差し支えない範囲で、どこからいくら位)
給料はボスが払っている。
10. 今いる国で日本人がゲットしやすい仕事にはどんなものがあり、その職種につくための良い方法はなにか
アメリカなので、いろいろあると思う。
ボストンは大学が多いので、研究者がいっぱいいる。大半は日本に帰ってしまうが、ごく少数の人がアメリカで残ってAssistant Professor→Associate Professor→Professorになる。
11. 今のご自身の仕事で雇用に際しての年齢の上限はあるか。今いる国で一般的にどうか
35歳から40歳だと大変だと思う。 インストラクターが何歳までが上限かは不明。
12. その他ご自由に・・・
その後の進路
日本語圏・英語圏・ドイツ語圏で、雇ってくれるところならどこでも行く。
ということは、日本、アメリカ、イギリス、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、ドイツ、スイス、オーストリア?
考えるだけで楽しくなってきた。
英語について
千賀さんのブログ「海外で勉強して働こう」のコメントでも「留学するだけの資金+英語(TOEFL)」がネックだと言う話になっていたが、博士課程修了者にはこれは関係ない。
博士課程を終了してPhDを取得した後のポスドクとしての留学(というか修行?)として職を得る場合、誰もTOEFLの点数なんか聞いてこない。 全く英語できないとお互い困るけれど。「能力があれば、多少のまずい英語は我慢して聞いてくれる」ということかもしれない。 もちろん英語の勉強はしている。
他の友達の話
私と同じように博士課程を終了後、ポスドクとして海外に修行に出た友人の中には、「僕は日本に貢献するために帰る!」と言って帰った人もいるし、「こんな国(アメリカ)イヤだから帰る!」と日本に帰った人もいるし、日本に帰ったのにまたアメリカに戻ってきた人もいる。人それぞれだと思う。
今日の教訓 やっぱり、ドイツに行ったのが私の人生の分岐点だな。
過去のブログ
・2つのセミナー、つつがなく終了 (ドイツに遊びに行き、セミナーを2つしてきたこと)
・本当に私はなぜアメリカへ来たのだ???? (日本・ドイツ・アメリカの労働時間について)
・2008年シーズン スキー第1回目 (アメリカ東海岸の雪は良くない ドイツの雪は良かったという話)
・Keystone meeting @ Banff お遊び編 (カナダのバンフで学会+スキーに行って来た話)
・最高の贅沢をお安く (ドイツでオペラを見に行っていた話)
・5周年記念 (ドイツに飛び立ってから5周年たって、「ドイツに行ったこと」が人生の分岐点だと思ったこと)
・ボストンからニューヨークへ安く行く方法 (安いバスの情報)
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